「平等寺」です。

こんにちは、二回目の更新です。 更新のペースが遅いかと思いますが、見習い坊主、大変のんびり屋なものでご容赦ください。。。

さて、因幡薬師の正式名称は平等寺といいます。 え? もちろん知ってました??
京都では、平等寺ではあまり通じません。 あまり京都に詳しくないタクシーの運転手さんに当たると「日航プリンセスさんそばの、因幡薬師までお願いします」と言わないと下手をすると平等院さんと間違えられる事も。。。(!)
住所が因幡堂町という町名にもなっておりますので、間違える運転手はほとんど居ないかと思いますので、お越しの際には「因幡堂」あるいは「因幡薬師」とお願いして下さいね。 笑

ちなみに平等寺という名称、平家物語などでご存知かもしれませんが、あの高倉天皇に賜りました名称です。 近年ではNHKの清盛でご覧になった方の方が多いかもしれませんね。 このお話はまた別の機会にゆっくり。

さて、そんな平等寺の見習い坊主。 いつかはこのお寺を継ぐ事になると思うのですが、平等寺を継ぐ者が「平等」について理解が足りないというのは恥ずかしい事です。。。 でも、平等ってなんだろう。 ちょっと考えてみました。

私なんかの世代では、学校で人はみな平等だー なんて、習いました。
今は、、、運動会などで、順位をつけるとかわいそうだから、ゴールのときは並んでゴールをする などという話もちらほら、、、。
ほんまかいな? と笑い話になるくらいかとも思いますが、これが現代の平等の意識なのでしょうか。  頭から否定をするつもりはありませんが、これが本当に平等なのか、とても疑問です。

勉学が嫌いな子が、運動会ではヒーローでありたいがために一生懸命に練習をして一位を取った なんていうことも当然あると思います。 当たり前の事かとも思いますが、努力し良い結果をだした者と努力をせずに良い結果を出さなかった者とを客観的に同じと評価する場合、それはむしろ不平等です。 ある一面を切り取った「結果」という客観的な事実がそこにあるからです。
もっとも、現実はより混沌であり、努力をせずとも良い結果を出したり、努力をしても良い結果が出せない事も往々としてあります。
私は「努力を続ければ必ず報われる」と学校で教わりましたが、そんな事は御伽噺の世界です。 念のためですが、努力は報われないと言っているわけではなく、単に意図する方向へ向かえる確率が上がる という事かなと思います。
話が脱線してしまいました。 笑

強引に話を戻しますと、、、何が本当の平等なのか は、各人によって色々な考えがあるでしょうから、一概にこれだというつもりはありませんが、 見習い坊主が考える平等とは、上記の通り努力をした者が報われる世の中であれば、不平不満は出づらい、つまり平等なのでははないかなと考えます。
日本人の心の中には「和を以て貴しと為す」の考え方が根底にあるように思います。
見習いの私が目指す平等 は、そんな「和」のような、平等を目指して行けたら良いのかなと思っています。

まだまだ未熟な見習い坊主、自問自答の日々は続きます。。。

改めまして、、、

因幡堂ブログが担当者多忙のため、なかなか更新されませんでしたので、、、見習い坊主が担当することとなりました。

四十にして惑わず(Copyright 孔子)。。。と生きていければ良いのでしょうが、迷いの日々もまた良いものだなと思いつつ、、、。

お寺の紹介や、日々の何気ないことを少しずつ綴って行けたら良いなと考えています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

最近のコメント

    アーカイブ

    カテゴリー